2015年 03月 01日
春一番ぶるぶるツーリング(茨城県) |

(レポーター:消防単車=生馬)
2015年3月1日(日)
1月の総会で居住地ごとの支部制となり、私(消防単車)が住む東京東が日帰りツーリングを受け持つこととなり、映画「永遠のゼロ」の舞台にもなった旧帝国海軍の霞ヶ浦海軍航空隊基地、茨城県・阿見町の予科連平和記念館と茨城空港の見学をメインに企画した。
私は千葉県八千代台駅でクラブ員のアンギュラスさんと私の知り合いで元予科連出身のE藤さんと待ち合わせし、第1集合場所の常磐道「守谷SA」に9時の集合には余裕で到着した。




天気が雨の予報を心配して軽トラなど4輪参加者が多い中、所沢S山さんは女の子お孫さんをパッセンにサイドカーでの参加です。

いつも元気なH方さんM野さんがバイクの故障ではなく、ご自身の故障により欠場。お二人も旧車の域になっていますので御自愛下さい。
予科練平和記念館
9時に守谷SAを出発。順調に走り、第2集合場所の予科練平和記念館駐車場には千葉のY田さんのサイドカーが到着していました。
その後、続々と集合し、皆さんが揃ったので駐車場でミーティング。


会長の挨拶後、元予科連生のE藤さん(右)から挨拶して頂きました。

▼入口の自衛官?良くみると我がクラブ員のアンギュラさんでないか!

事前にお願いしてあった記念館の説明員の方の案内で展示コーナーを進みます。
14歳半~18歳の若者が海軍に志願して飛行機乗りになるための訓練を受けたのが「海軍飛行予科訓練生」略称「予科連」は昭和5年に設立され、終戦まで続いた。
訓練生の約2万4千人が戦地に赴き、戦死者は8割の1万9千人にのぼるそうです。


北海道小樽の生まれ。昭和18年、18歳で予科連に志願し、後に中島飛行機97式艦上攻撃機の搭乗員パイロットとなり終戦を姫路の部隊で向かえ、予科練の仲間の半数の方は特別攻撃に行かれ戻られなかったそうです。
予科連時代にはセーラー服が7つボタンの詰め襟に替わった最初の期だそうです。
▼予科練時代のE藤さん

写真家「土門拳」と予科練生
館内には写真家 土門 拳が戦中に撮った予科連生の日常が大きく掲示されていますが、屈託のない少年たちの笑顔、この場所もアメリカ軍から空襲を受け、多くの方が亡くなったとのこと。
※記念館の内部は撮影禁止なので写真はありませんが、ホームページより転載いたします。


70年前の事に想いを馳せました。
予科連記念館「雄翔館」
隣の陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地内の予科連記念館「雄翔館」はそのまま歩いて行きました。
▼途中に展示してあった人間魚雷「回天」(レプリカ)、中からはハッチは開けられないそうです。

▼「雄翔館」の入り口に山本五十六元帥の銅像が建っていた。

そこには特攻に行かれた方の遺影や遺書が展示されていました。E藤さんの同期の方の遺影の前でお話を聞いたときは胸が一杯になりました。

手動慣性起動
駐車場に戻りここで解散組と茨城空港見学組に別れ出発ですが、バイク組のH谷さんのエンジンがかかりません。昔は小型航空機の始動は整備兵が2人がかりでクランク棒でエナーシャ(手動慣性起動、フライホイール)を回し、搭乗員パイロットと連係して始動したそうです。まさにバイクの押しがけと同じです。

K倉さんのRTもアイドリングが安定せず、会長と工場長がシューリング。何とか出発しました。
ところが先導をする自分のナビが当初セットしたコースを外れ、遠回りになり御迷惑をお掛けしましたが、霞ヶ浦大橋を渡り茨城空港へ到着しました。
茨城空港の駐車場にバイクを止めて、展望デッキで出発を待っていると航空自衛隊百里基地から戦闘機が2機、凄い音と勢いで飛び立ちました。
参加者からもこれで来たかいがあったと感想を頂きました。
旅客機の離陸を見て、展望レストランで食事。
空の駅「そらら」へ向かわれた群馬、神奈川チームの皆さんには連絡ミスで合流できず、ご免なさい。
ここで現地解散となりましたが、途中、雨足も酷くなり、「ぶるぶるツー」を体感しながら、帰宅しました。
参加の皆さん御協力ありがとうございました。

▼元予科練のE藤さんと消防単車

No,55 消防単車 (生馬)
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by bmwmoc
| 2015-03-01 09:00
| 2015年 ツーリングレポート