第46回 BMWフェスティバルin砺波 |
今年の「第46回BMWフェスティバル」は11月3日~4日、富山県「砺波ロイヤルホテル」で開催となりました。
※BMWフェスティバルについては→こちら
11月3日(土)
早朝の冷え込みがあるもの旧タイプ(R69S)にとっては優しい気温のスタートで家を発ちました。
家を出て間もなくロングストローク・フラットツインのぶるぶる洗礼(ハンドル振れ)を浴び、心拍数が一気に上がると同時に身も心も引き締まり、眠い瞼が爽快に目覚めました(笑)

今回は当クラブの参加人数は40名以上の参加ということもあって、各支部ごとの判断により集合することとなり、私は関越自動車道「高坂SA」に午前8時の出発組ということで7時半に到着したもののSAにはクラブ員は誰も見つけることができず(とっくに出発してた!)8時5分に単独スタートになりました(寂)
紅葉の時期と重なり、朝の関越自動車道は相変わらず凄い渋滞だなぁっと走っていると事務局高橋さんの一行と合流できることが出来ました。
最初に聞いていた集合人数とは違い「少ないなぁ」と感じつつも移動途中の碓氷峠付近の紅葉には目を奪われておりました。
北陸自動車道に入り、「名立谷浜SA」で昼食時間内にクラブ員数名と合流し空腹を満たした。
▼名立谷浜SA

さらにその先のSAでまた数名のクラブ員と合流。バラバラの出発なのにほぼ時間通りにだんだん集まってくるライダーの感?習性?なのか恐るべし本能だとあらためて感動しました。
国宝 瑞龍寺(ずいりゅうじ)
最終待ち合わせ場所の富山県「高岡山瑞龍寺」に到着して拝観していると、さらに続々と集まる我がクラブ員((笑))
ほぼ予定していたメンバーが揃ったのところで会場に向けて再スタートです。
▼瑞龍寺の駐車場



走ること小一時間で本日の会場となる「砺波ロイヤルホテル」には午後4時すぎに無事到着できました。




総参加者180余名での「第46回砺波BMWフェスティバル」は定刻通り、午後6時半に司会者の声と共に幕開けとなり、進行係の方の紹介と挨拶から始まり、たくさんの先人のお言葉を頂戴しながらフェスティバルの晩餐会は着々と夜の帳と共に進むのでありました。
▼我がクラブ顧問高橋さん(83歳)も自走で参加です。


美味しい料理とお酒が進むにつれ再開を喜ぶ者もあれば熱いバイク談議に花が咲き親睦の深さもより一層増してゆきます。
▼引継式、来年は我がクラブが幹事です。皆さん頑張りましょう!!


各テーブルで熱いバイク談議に酔いしれているなかで、宴のお開きをを告げられた後に恒例の1本締めの掛け声と共に名残惜しまれつつも、賑々しく宴会は終了となり各自部屋に戻る人や二次会に行くものと別れることになり各々の部屋や二次会会場で熱い夜は更けるのでありました。
▼重鎮の皆さんです。

11月4日(日)
一夜明けて窓の外の遠くに目をやると朝焼けに染まった黒部の山々には所々雪化粧しており着実に冬の到来を知らせていました。




さあ帰路も気持ち引き締めて帰ろうとするや否やあのブルブル現象が再発!しかも尋常じゃない激しいやつが襲ってきてしまい押さえこむことができません。
数分ごとに止まっては確認し、なんとか北陸自動車道を新潟方面へと走ることができました。
30~50km/hの加速ゾーンを越えれば振れは納まるので、夕方の渋滞時間帯だけは避けたく、またこれ以上Yさんの足止めをさせてはいけない気持ちで、結構切ない中での走行でしたが、途中、晴れ間と薄曇りの日差しの中、新潟の日本海沿いの水平線の景色に和まされながら旧タイプの2台は関越自動車道に進路を向け東京方面に車体を傾けてさらに快調に走ります。

長岡J・Cから関越自動車道に入り最初のサービスエリアの「越後川口SA」で昼食&給油タイムとなりちょっと長めの休憩とライダーもお腹満タンにしての再出発です。
その後は概ね順調で途中、夕方の渋滞はあったものの短い時間を数回程度で済み、お互いの大きな車輌トラブルにも見舞われずに「高坂SA」で給油後、Y氏との再会を約束をして第46回砺波・BMWフェスティバルを無事終えるこができました。
【レポートの後記として】
今回の全走行距離986km。
50年前のバイクの素晴らしさだけでなく、旧タイプの疲労感の少なさにもさらに感動です。
そして、あこがれのR69Sを乗るきっかけと背中を押してくれた元クラブ員のKさんとその繋がりを作ってくださった管理人N氏に感謝が止みません。
ありがとうございました。

会員#79佐藤でした。
BMWフェスティバルIN砺波 番外編

夜明け前の関越自動車道高坂SAの駐車場。なぜこの時間に一人でいるのか?前夜、クラブ員Sさんから別件で電話があり、「ところで明日のフェスティバルは?」「私は紅葉を見に行くから皆さんとは別ルートで暗いうちに出発です。」と応えると、急遽「一緒に行きたい」と・・・・・・、
約束の1時間前、星空輝く寒空の下一人でSさんを待つのでした。
やがて1台のドマーニ、次に黒のR100RS。
私は、山間部の渓谷を走るとき、対岸に一筋の旧道の痕跡があれば、その旧道は走れないかと心が騒ぎます。
多くの場合、車線幅が狭く交通量に対応出来なくなった、或いは土砂崩れなど災害が度々発生し、代替道路が必要になったなどの理由でバイパスが検討されます。
何故今までの道路を拡幅するより対岸に新設ルートを造るか?築造時、既存道路の交通を確保しつつ新道の完成が図れること、万一バイパスが罹災し、交通止めとなったとき、残された旧道が役に立つのです。
そして多くの旧道は狭いながらも昔からの村落などを結ぶ生活道路として現在もひっそりと残る「忘れられた道」や、「里山の神社、古刹を巡る道」は私好みのツーリングコースです。
JR飯山線に沿って、白鳥大橋を過ぎ、県道408号線に入ります。
この道路は、大正から昭和初期、東京から秋田へ向かう重要路線(当時の三国峠は未整備で車両通行不可)として造られ、今の国道17号線、18号線の延長の国道の10号線と位置づけられ、その後国道117号線になり、現在は県道408号線と変わりました。

水力での累計総発電電力量は日本一で、首都圏に送られ(長野県内にある東京電力の施設)ています。
脇の公園は数多くのソメイヨシノが植樹され恐らく開花時は名所かもしれません。
その先にある橋の親柱の上に巨大なオブジェの玉が載っています。
この橋の名は出川橋(昭和25年12月竣工)で橋銘版には国道10号線と記されています。JR上境駅手前で旧国道と分かれいよいよ関田峠へ。
歴史を刻む関田峠
日本海側で採れた塩を甲州・信州へ運ぶ塩の道は幾筋かあるが、関田峠はその一つとされ、戦国時代、上杉謙信が武田信玄と川中島へ向かうため越えた戦のための峠でした。


現在は、テレビから流れる音楽が溢れていますが昔は旅芸人から聞くことしか出来なかったので貴重な存在だったのでしょう。
現在の関田峠は関田山脈を縦走する関田トレイル(標高1,000m前後の稜線を主体とした、斑尾山から天水山間の総延長80kmの日本屈指のロングトレイルで、ボランティアが何年も手作業でルートを開拓した縦走路。)の中継点です。
村の家々が見えなくなり、振り返ると野沢温泉は雲海の下。

峠に向かう道は秋の色。

更に下った最初の集落は関田峠の名の由来となった「上関田」、5~60年前、瞽女宿での芸に村人が集まり楽しい一夜を過ごしたと言われたそうですが、その宿の跡は主不在となった庭の錦鯉が悠然と泳いでいました。ここも限界集落となっていいました。
そこから上越ICで高速に乗り、クラブ員が待つ「名立谷浜SA」の昼食場所へは正午前に到着し一人旅は終わりました。
このコースは長野方面から新潟へ抜けるコースが展望良くお薦めコースです。また、半年間通行止めとなるため道路管理者へ確認の上、プランを検討してください。

■翌日の諏訪グループ余談
フェスティバル後、もう一泊組は諏訪湖を目指しました。






安房峠のトンネルを抜け、上高地マイカー規制の交差点で後ろを走るR69Sが緊急停車。
イグニッションスイッチ点灯せず。会長がUターンし不調箇所点検するも分からずヒューズかも?とシート外して確認するも切れていない。

レポートNo13金子
諏訪での宿、民宿「あかひこ」は何と1泊2食付きで5,000円!!





残念ながら休館日で中を見ることはできなかった。

(写真は管理人が勝手に掲載しています。都合の悪い方はご連絡下さい)
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